きみを失ったあの日
この年私は人生最高の喜びと苦しみを一度に味わった。
妊娠と最愛の人の死…残暑が厳しかった夏の終わり私はその知らせを聞いた。
一瞬自分の身に何が起きているのか、これは夢か現実なのか、自分が今どこにいるのかさえ分からないくらいのめまいに襲われた。
思えばきみと対面するまで私は必死にその現実にあらがっていたように思う。
その瞬間が来るのは怖かったが、私はとにかくお腹をかばいながら必死に走った。
今思えばタクシーを使って帰ることも出来たのに…なぜかその日私は走って帰路についた。
帰る途中色んな事が頭をよぎったが、不思議と不安はなかった。
ただ笑顔で「おかえり」と迎えてくれるきみを信じて走り続けた。
ここからの記憶はかなり鮮明に脳裏に焼き付いている…
息をしていない君の頬に触れた手の感触、まだ温かい体温、きみの胸に顔をうずめて聞こえてくるはずの鼓動が聞こえなかった時、私は初めて涙を流した。
きみはそばで見ていたのだろうか…ただ泣きじゃくる私をそっと抱きしめてくれたのだろうか。
その後のことはあまりよく覚えていない。葬儀の時もなぜか涙は出なかった。
不思議と孤独を感じなかったのは、穏やかなきみの顔とおなかの中に宿る小さな命のおかげだと思う。
自分に言い聞かせるように「大丈夫だよ」そう言いながらお腹を撫で続けた。
小さな箱に入ったきみを抱えて家に帰る途中、お腹がピクっと動いた。
あぁきみは最後にこの子に会えたんだね…
まだ温かいきみをギュッと抱きしめて、私たち家族は最初で最後の抱擁をかわした。